*** 東北地方太平洋沖地震 ***
タイトルからして、タイプではない。なんとなく銃声が聞こえ、不必要な血がやたらと流れるイメージが浮かんだ。解説を見る。・・・やっぱり。堅気ではない世界が描かれた、フレンチ・ルノワール。どうして人は、こんなに無残な映画を求めるのだろう。すべての人々のどこかにこういう残虐さを楽しむ部分があるのだとすれば、それはそれですごいことだが・・・。
脚本の解説を読み進むうちに、ますますこんがらがってくる。一人がやらかしたことが次から次へと連鎖して、殺戮が繰り返される。登場人物も名前だけ見ていると、さっぱりわからなくなり、「死ぬための人々」が準備されているだけのような気がする。・・・なんて言ったら、原作者や映画監督、出演者、それにこの映画に感動した皆様に失礼かもしれない。
が、私は最近、人には役割があると思う。自分自身は平凡だが小さな幸せの中で子孫を残す「生む人々」。自分自身との戦いだけに必死で「一人頑張って生き抜く人々」。 あるいは、生産者でもなく戦う者でもなく、「心が震えるような幸せも不幸せも経験したくなく、一人で十分幸せな人々」(私の親友がこのタイプで驚きだ)。時にはギブアップして「自分の命を絶つ人々」もいる。
そんな多種多様な役割の中で、どの役割だけに特化しても、物語はつまらない。物語としてもつまらないのだから、人生が、ひとつの役割の人しかいないのは、きっともっとつまらないだろう。
映画を見ていないから、偉そうなことは言えないけれど、現実に近い闇社会を映画で描く必要があるのかどうか。人の世には必要悪として、あるべきものなのだろうが、それが美化された段階で、私は引いてしまう。
しかし、殺戮の連鎖が鬱陶しいのと同様、幸せの連鎖も、さほど、興味はない。どうして連鎖するのか、どうして「殺戮」が、「幸せ」が、連鎖していくのか、そこがうまく描かれていなければ、なにごとも納得いかない。
一方で、現実の人生では、意外と理由もなく、いいことも悪いことも連鎖したりする。自分の人生の監督はどこにいるのか、探し求めている、何気に矛盾した日々である。