
欲望まみれの集団といかに距離を取るか、それがこの映画のテーマである。
生々しさは本作の最も際立った魅力だ。パリ犯罪社会の帝王クロードが裏切り者や仕事でヘタを打った者に施す容赦なきリンチ、その直後に飽食を満喫する姿には醜き貪欲が反映されている。彼は〈ゴッドファーザー〉シリーズ(1972年〜)のヴィトー・コルレオーネやマイケル・コルレオーネのようにある種の美意識を持っているわけではなく、ただ煩悩を剥き出しにしているだけなのだ。
こんな奴、ボスに持ちたくはないですよね。人徳のかけらもない。彼が何者かの密告をきっかけに投獄されるのは当然の成り行きだろうし、シャバに残った部下たちが素直にボスの出所を待つのではなく、新たな権力闘争に燃え始めるのもやはり当然なのである。
犯罪映画にはいくつか種別がある。本作はヤクザ抗争ものの一つと言っていいだろう。例えばスタンリー・キューブリック監督『現金【ルビ=ゲンナマ】に体を張れ』(1956年)は複数メンバーから成るチームが競馬場の売上金強奪を目指すケイパーもの=襲撃ものであり、仲間内での軋轢が見どころではあるものの、職業的ヤクザの縄張り争いを描いているわけではない。本作とは異なるタイプの作品なのだ。
抗争もの映画の源流をさかのぼっていくと、それは1940〜50年代のハリウッド産B級クライム・ムービーを生み出す原動力となった(つまり書いた作品が映画化された)ダシール・ハメット、レイモンド・チャンドラーたちのハードボイルド探偵小説なのだろう。中でもハメット『血の収穫』(1929年)は本作品との親和性があるので触れねばなるまい。主人公はコンチネンタル探偵社に勤める調査員である。単純な勧善懲悪ヒーローというわけではない。街のギャングたちを全滅させるため、あえて抗争の激化を画策する非情なしたたか者だ。すなわち、悪者たちを成敗する正義の味方ではなく、抗争の真っ只中にいつつ完全に当事者というわけでもなく、何かしら中途半端な立場なのだ。
本作『裏切りの闇で眠れ』の主人公フランクもしかりだ。彼はフリーランスの殺し屋である。クロードからの依頼で仕事をすることも多いが、彼の統率する組織に属することはない。なので、クロード投獄後の権力闘争に対しても距離を置く。
ただし彼が探偵会社の調査員でないことは明らかで、つまりはどうしたって裏社会の住民なのである。逃げ場はない。相当に切迫した心境で自分の利になる身の振り方を判断、取捨選択する必要がある。そこから生じるぎりぎりの緊張感が本作のカナメと言っていいだろう。殺るか殺られるか、一か八かの世界にフランクは生きている。
主人公が抗争の外側という安全地帯から離れ、より火種の中心に近づけば近づくほど、物語のエモーションは高まる。傍観者ではなく当事者の意識によって彼の葛藤が激化するのだから当然ではある。かような法則(ちょっと大げさな言い方だけれど)は日本のヤクザ映画を観るとよく分かる。
主人公、ないしは複数の主要人物が可哀相であるということ、すなわち強者から脅かされる弱者であることがストーリーの大前提になると、情緒を重んじる日本人気質は刺激される。鶴田浩二や高倉健主演の東映任侠映画が1960年代になぜ人気を博したのか、理由がここにある。しかしこのジャンルは、悪玉ヤクザに苛め抜かれた善玉ヤクザが終盤に“懲らしめ”のため大反撃するヒーローものであって、抗争劇とは違う。むしろ好例としては日活末期に出現した傑作、澤田幸弘監督『斬り込み』(1970年)を挙げたい。藤竜也、沖雅也ら演じる若者ヤクザ・グループのほのぼのした生活が上司(すなわち組長や幹部)たちの作った非情な組織論理によって踏みにじられ、本当に可哀相なのだ。抗争の渦中にいた藤竜也が反撃のためドスを振り回す姿は上品なヒーロー像から掛け離れており、むしろ狂犬の暴走を彷彿させる。
この傑作のマインドを踏襲し、さらに可哀相で、さらにエモーショナルな仕上がりになったのが工藤栄一監督『その後の仁義なき戦い』(1979年)であろう。個人的に大好きな映画なので、少し詳しく触れさせてください。
深作欣二版〈仁義なき戦い〉シリーズ五部作(1973年〜)や〈新 仁義なき戦い〉三作(1974年〜)とはまるで関係がない映画である。しかしながら、非情なヤクザ抗争が若者たちの友情を切り裂く、まさしく“仁義なき”哀切の物語なのだ。
大阪の巨大組織・石黒組の若頭が事故死する。やはり大阪に本拠を置く若頭補佐の浅倉はライバル花村を蹴落とし次の若頭になるべく、画策を練る。どういう策か。浅倉組と親子盃を交わしている北九州・竜野組(つまり、この組は石黒組の孫に当たる)を切り捨てることが大前提だ。わざと親子喧嘩を始め、そこに花村組を巻き込み、組織的な疲弊をうながしたい。花村組の有力幹部が竜野組幹部と個人的に兄弟関係なので、首を突っ込んでくるのは間違いない、という読みである。
こうした策略を進める駒として上司から理不尽な命令を受けるのが、浅倉組所属の下っ端組員・相羽年男(演ずるは根津甚八)である。彼は竜野組に所属する根岸昇治(宇崎竜童)、水沼啓一(松崎しげる)と親友であったが、命令を遂行するため二人から秘匿情報を聞き出し、それを上司に伝える。つまり友情の裏切りである。
裏切りがバレて、年男は昇治や啓一たちに凄絶なリンチを受ける。命からがら大阪に戻るも、彼が勲章をもらうことはなかった。駒はやはりただの駒なのだ。それだけではない。リンチのせいで身体が思うように動かなくなった年男は組をクビになる。自暴自棄のままクスリに溺れ、狂気に憑かれたようにある行動へ向かっていく。その姿は組織を離脱した一犯罪者のそれであり、強烈な破滅志向がうかがえるのだ。
『その後の仁義なき戦い』、先に挙げた『血の収穫』と比較しながら、本作『裏切りの闇で眠れ』を観ればいっそう楽しめるはずだ。フランクは生々しい欲望の街に生きているが、一時の誘惑に翻弄されることはない。己れの欲望は抑え込んでいる。つまり、きわめてストイックな男の物語なのである。


